キース・アウト

マスメディアはこう語った

どうやら政府には、教員の能力に対する絶望と免許更新制度への異常な信頼があるらしい。偉大な安倍元総理のレガシーを理念上まもり、教師の指導力を向上させるためにはより多くの研修が必要だと今や準備を進め始めた。しかし現場教師は、忙しすぎてまだそのことに気づいていないのだ。

(写真:フォトAC)


記事

 免許更新制、1日に廃止 教員が自主的研修 ICTや障害、課題に対応
(2022.07.01 JIJI.COM)

www.jiji.com 教員免許の有効期限を10年と定めた更新制が1日に廃止され、自主的な研修により教員の質を担保する新制度が導入される。
 
 更新時の受講を義務付けた30時間の講習は、国の教育政策や法改正の動向など総論的な内容が多く、ICT学習や障害児対応といった現場が直面する課題に十分対応していなかった。廃止に伴い、来年4月から教員が地域の実情や自身の関心を踏まえて研修を受ける仕組みに変更。新制度が指導力向上につながるかが問われる。
 
 更新制は2009年度に導入。教員は大学などに出向いて自費で講習を受ける必要があった。文部科学省が定めたカリキュラムは、最新の政策や法改正、学習指導要領、学校危機管理といったテーマが目立ち、全国連合小学校長会の大字弘一郎会長は「教員が望む講習と受けられる講習にずれがあった」と話す。夏休みをつぶして受講する場合も多く、働き方改革に逆行していた。
 
 新制度では、校内や自治体・国の研修、大学や企業のオンライン研修などから、教員が必要と考えるものを受ける。多くの教員はこれまでも勤務時間内に校内や自治体の研修に参加しており、大字氏は「負担が大きく増えるとは思わない」と話す。
 
 文科省は、▽発達障害を抱える子どもへの対応▽外国人児童生徒への対応▽いじめや不登校▽対話重視の学習―といった実践的なテーマの中から、地域の実情に応じた研修を充実させるよう、教育委員会に呼び掛けている。
 
 新制度の下で教員の指導力を向上させるには、学校によるきめ細かいフォローアップが欠かせない。校長は各教員の研修履歴を把握し、今後どんなものを受けたらいいかアドバイスする役割を担う。研修を受けない教員や受けても指導力が不足する教員には、職務命令で研修を受けさせることもできる。末松信介文科相は6月の記者会見で「教師は常に自己を磨いてほしい」と求めた。 
 

 評

 【政府の立場から更新制度廃止を見る】

 先日も『教員免許、過去失効分も復活 「ペーパー先生」教壇へ―学び直しが課題』(2022.05.14)で、″教師不足も深刻だが、更新制廃止で教壇に立ったことのない「ペーパー先生」が教壇に立つのも心配だ“みたいな記事を書いたJIJI.com。ときどきほんとうに頓珍漢なことを言い出すので、そのたびに私は混乱する。
 
 今回、取り上げた記事も、
 更新時の受講を義務付けた30時間の講習は、国の教育政策や法改正の動向など総論的な内容が多く、ICT学習や障害児対応といった現場が直面する課題に十分対応していなかった。
 と、あたかも“更新制度が時代に合わなくなったから廃止した”みたいな書き方だったので面食らった。廃止を教員の働き方改革の一環のような言い方をして私を怒らせる人はいくらでもいるが、まさか時代性の問題が出てくるとは思わなかった。わずか十数年で時代に合わなくなったというのは、よほど制度設計がまずかったということではないか。
 
 だが、これらの記事を教師側の視点からではなく、政府の側、教員により高いレベルの研修をさせようとする立場から観ると、鮮やかに筋の通った話になってくる。要するに引用した部分は、来年度以降の研修内容を示しているだけなのだ。

 

【更新制度廃止の唯一無二の要因】

 偉大な安倍晋三元総理の教育分野でのレガシー・肝入りの制度を、こうも慌ただしく撤回したのは、何を置いても深刻な講師不足が臨界点を越えたからである。

 講師というのは非正規の教員で、病休・産育休の代替え要員であり、国が毎年配置する加配定数を満たすための重要な人員であり、市町村が独自に雇い入れるさまざまな教育支援の担い手であり、将来の正規職員削減を見越した臨時配置として、絶対に必要な教員である。ところが、この部分が決定的に足りなくなった。

 原因として10年も前の「団塊の世代の大量退職」や、そこまで多くはないはずの「産育休取得者の増加」などを挙げる人もいるが、そうではない。
 基本的には少子化にも関わらず特別支援学級の増設や市町村費教員の増加などで思ったほど教員の需要が下がらなかったことと、そして採用試験受験者が減少したために競争率が下がり(=合格率があがり)不合格者が少なくなったために、供給が追いつかなくなったからである。
 
 さらに頼みの綱である退職教員が、更新制度のために次々と免許を失っていく状況が追い打ちをかけた。
 子育ても終わってさあフタタに教職をという人も、定年退職した元教員も、すでに免許を失って今日明日の要請に応えられない。だからこその「免許更新制の廃止」なのである。
 政府が教員を思い遣ることは、まず、ない。
 

 【教員免許更新制をなくしたことの見返り】

  しかし政府にとって、今も隠然と権力を振るう安倍元総理の業績を握りつぶすのは耐えがたいことだし、毎日のようにマスコミを賑わせる教師の不祥事、すぐに療休に入ったり退職したりしてしまう精神的弱さ、勤務時間内に仕事を終わらせることのできない無能さにも耐えることができない。そこで、
 自主的な研修により教員の質を担保する新制度が導入される
 ことになったのである。注目すべきは、

  • ・新制度が免許取得後10年を経た教員だけでなく、全教員を対象にしていること。
  • 校内や自治体・国の研修、大学や企業のオンライン研修などから、教員が必要と考えるものを受けること。
  • 都道府県・政令市教委が行う研修を記録することを義務付け、必要に応じて校内研修の一部などを記録しなければならないこと。
  • 記録する項目としては、受講内容や年度・時間、研修リポートなどがあること。
  • 校長は各教員の研修履歴を把握し、今後どんなものを受けたらいいかアドバイスする役割を担うこと。
  • 研修を受けない教員や受けても指導力が不足する教員には、職務命令で研修を受けさせることもできること。

  早ければ来年度から、すべての教員は校長のアドバイスに従って、毎年、自主的に(?)校内や自治体・国の研修、大学や企業のオンライン研修に参加して毎回記録を作成・提出しなくてはならなくなる。
  それが更新制度をなくした見返りである。
 
  今のところ受けなければならない研修の数や時間は示されていない。そこで、
 多くの教員はこれまでも勤務時間内に校内や自治体の研修に参加しており、大字氏は「負担が大きく増えるとは思わない」と話す。
ということになるが、これまで自治体の研修や校内研修のたびに報告書を書いていたわけではないし、受けるべき研修がいままで通りでいい保証されているわけでもない。「記録」が負担にならないはずがない。

(更新講習は)夏休みをつぶして受講する場合も多く、働き方改革に逆行していた。
というが、夏休みではなく、学期中に行う受講と記録が働き方改革の趣旨に合うとはとても思えない。


【仕事の量は増やすが多忙化とならぬよう、校長は教員を必ず早く帰せ】

 今年5月、国会で「教員免許更新制」を廃止するための改正法案が可決・成立した際、衆議院で7項目、参議院で8項目の「付帯決議」が行われた。付帯決議は法的効力を持つものではないが、その後の運用に国会として注文を付ける意味のあるものである。

 両院の付帯決議のうち7項目の趣旨はほとんど同じで、その概要は次のようになる。

  1. 指導助言は教員の意欲・主体性と調和したものが前提で、十分に教員等の意向をくみ取って実施すること
  2. オンデマンド型を含めた職務としての研修は、勤務時間内に実施され、費用負担がないこと
  3. 教委は、教員の資質の向上につながり、子どもの実態に即して教員が必要とする研修を実施すること
  4. 多忙化をもたらすことがないよう十分留意するとともに、働き方改革の推進に向けて実効性ある施策を講ずること。教員から報告を求める場合には、負担増とならないように留意すること
  5. 研修記録は、校内研修・授業研究、勤務場所を離れて行う研修も記載対象とすること
  6. 研修記録の作成や指導助言は、人事評価制度と趣旨・目的が異なることを周知すること
  7. 教師不足を解消するためにも、免許状を失効している者が申し出て再度免許状が授与されることに広報等で十分周知を図るとともに、事務手続の簡素化を図ること。
  8. 参議院は、これに「臨時的任用教員にも研修機会を確保するように」との項目を加えた)
     

 ただしこの付帯決議を読んで、教員たちには次のように考えるに違いない。
「研修は、勤務時間内に実施され」「多忙化をもたらすことがないよう十分留意する」
って、いまでも勤務時間内に仕事が終わらないので時間外労働せざるを得ないのに、そのいっぱいいっぱいの勤務時間内に研修を入れて、しかも「多忙化をもたらすことがないように」って、どういう意味だ? 
 さらに、
働き方改革の推進に向けて実効性ある施策を講ずる」
って、要するに、勤務時間内に研修を差し込んだために押し出された仕事を、教員が時間外にやって働き方改革に逆行することのないよう、校長は何としても退勤時刻に帰宅させろってことなにのかい?

 たぶんその通りだ。いずれにしろ、政府は教員の仕事を増やしこそすれ、減らす考えはまったくないようだ。