(写真:フォトAC)
記事
「昔の学校のほうが厳しかった」は大間違い…教師が怒鳴らず、教材も豊富なのに不登校児が増え続けているワケ
(2025.06.21プレジデントオンライン)
なぜ不登校の子供が増えているのか。信州大学医学部子どものこころの発達医学教室教授の本田秀夫医師は「学校ではノルマ化とダメ出しが多く、そのことによって多くの生徒が無理をしている。ユニセフによると、日本の子どもの精神的幸福度は36カ国中ワースト5位になっている。学校の環境が変わらなければ、不登校は減らない」という――。(第1回)
※本稿は本田秀夫『発達障害・「グレーゾーン」の子の不登校大全』(バトン社)の一部を再編集したものです。
■「昔の学校のほうが厳しい」は本当か
Q1
いまより、昔の学校のほうが厳しかったのでは?
いまの学校は「ノルマ化とダメ出しが多すぎる」という話をすると、「昔だって過酷な環境はあった」「昔の教師のほうが子どもに対し厳しかった」と言う人もいるでしょう。では、いまの学校と昔の学校では「厳しさ」がどう違うのでしょうか。
「ノルマ化とダメ出しが多すぎる」という話に対し、「強くなるには厳しい環境で頑張ることも必要だ」という意見もあるかもしれません。「昔も過酷な環境があった」「成長には試練が必要だ」といった考えです。
(以下略)
評
この国の国民の大部分は日本の学校教育の経験者であり、過去・現在あるいは将来の自分の子どもがお世話になるのも日本の学校教育である。その意味で学校教育は万人に共通な関心事であり、未知の世界の話ではないので一言いいたい御仁も多くいらっしゃる。しかしそうした人々の主張をいちいち受け入れるわけにはいかないのは、内容が必ずしも一致しないからだ。それぞれが見ている現実の学校状況が違っている。
【専門家の目に見える学校はどうなのだろうか?】
引用した信州大学医学部の教授の目には、日本の学校教育は以下のように映っているらしい。
いわく、
- 昔の学校は「資源や設備が劣悪」だったが、人々が協力して支え合い、「自分は孤独ではない」と感じながら頑張ることができました。親や先生も子どもの心の支えとなっていた。しかし、
- いまの日本の学校は、物理的には恵まれた環境で、物資や設備はそろっているものの、物理的に過酷ではない分、心理面で厳しくする傾向がある。
- その結果、勉強面や生活面に多くのノルマが課され、基準に達しない子どもには「もっと頑張れ」と厳しく接してしまうことが考えられます。いまの学校は、子どもたちにとって心理的に過酷な環境になっていることが多いように感じます。
- ノルマを増やした結果として、子どもたちの心の健康が損なわれている。
- そこには、みんなと同じようにできない子が弾かれやすい構造があり、それが不登校の要因になることがあるのです。
- 学校のノルマに苦しんでいる子の場合には、学校生活で苦労しやすいという状況が変わっていなければ、不登校の準備状態が形成されやすくなり、また、不登校の引き金となるような出来事も起こりやすくなります。たとえ登校できていても、不登校になるリスクが高い状態なのです。
医学博士・大学教授、しかも子どものこころの発達医学の専門家で大学附属病院子どものこころ診療部部長。専門家としてはこれ以上ないほどの肩書を持った人が言えば、すべてのことは正しいように見える。しかし専門家と言えど、これは一面的な見方でしかないのだ。
【有名教授の抱える偏見と実際の学校】
このレベルの重鎮が診ている子どもたちは、親が大学病院にまで連れてくるほど重症なので、すでにほかの病院や施設でさんざん弄り回されたあとで、問題が複雑化または潜在化している場合がほとんどだ。ひじょうに難しい。そこで「日本の学校教育そのものを変革しなくて治らない」といった大げさな話になる。
さらにこれくらい高いレベルの医師となると、実際に学校現場を訪れ、時間をかけて調査するということはしない。彼らは忙しい。
この人たちの知る学校は、マスコミや他の研究者によって書物や論文の中で語られた学校であり、日ごろ大学構内で話のできる学生たちの記憶に残っている学校である。よくてもゼミの学生を使った聞き取り調査で聞こえてくる学校でしかない。内容は一般的で、抽象的で、時に研究者の恣意によって都合よく捻じ曲げられている。
記事の中で彼が語る、
勉強面や生活面に多くのノルマが課され、基準に達しない子どもには「もっと頑張れ」と厳しく接してしまう
というのも実証的な話ではなく、「ことが考えられます」と彼の頭の中で考えた学校の姿なのである。そもそも教授は、私はそのことを最近じっくり考えましたと、すべてが彼の頭の中で作り上げた擬制であることを告白しているのだ。
しかし実際の学校はどうだろう?
私の知っている公立学校は、昭和時代に比べればはるかに「頑張れ」とは言わなくなっているし、教師も厳しく接しなくなっている。強制も監視もなくなって、ごく少数の、身の危険を顧みない教員だけが、子どもの学力を上げようと必死になっている。管理職もまた熱心すぎる指導には懐疑的で、そこまでやらなくてもいいと思っている。無理が祟って保護者の強硬なクレームが入り、教師一人を失うと学校はほんとうに大変なのだ。代わりは簡単には見つからない。
【できもしない解決法】
ただし教授のいうことにも一片の真実はあり、たしかに昭和の学校と違って、現代の学校は多くのノルマが課されるようにはなっている。小学生のうちからコンピュータもやらなくてはならないし英語を学ばなくてはならない。環境教育も、人権教育も、性教育も、キャリア教育も、昭和の時代にはなかったものだ。
いじめ問題にかかわって、教師は子ども同士の人間関係に、驚くほど迅速に、徹底的に介入してくる。あれをしてはダメ、こういう言い方はダメといった「ダメ出し」は日常的である。しかしそれらを省略するとか手を抜くといった選択肢は、少なくとも学校にはない。
目標が柔軟に設定されていて、「得意な子はこれくらい」「苦手な子はこれくらい」という見通しが示されていれば、子どもたちはそれぞれのやり方やペースで取り組めます
と言っても、「算数の苦手な子は掛け算も『2の段』『3の段』まで」とか、「あなたは英語が無理だから、その時間は別の勉強をしましょう」とかはできるはずもない。
「いくらやっても人権感覚の身につかないあなたが、今後いじめをエスカレートさせても、学校は我慢しましょう。とりあえず、『けがをさせない程度の暴力』で留めることを目指しましょう」
とか、
「まだレベルの低いキミのセクハラ発言は、当面、許容するよう皆で理解しあいます」
ということでは周囲がかなわない。
子どもに限らず、人はある程度みんなと歩調を合わせて成長していく必要があるのだ。
基準に達しない子どもには「もっと頑張れ」と厳しく接してしまう
のは本来、良心的な教師のすることであった。
【人の不満を煽って終わりにするな】
医者は基本的に患者と一対一の関係の中で問題を解決しようとする。そしてその中で状況を打破できなくなると、環境が変わるべきだという。その子が治らないのは医者の責任でも本人のせいでもなく、周囲のせいだという。
しかし、他人や学校、教育制度や社会全体が変わる必要があるといっても、それは容易なことではないし、ましてや社会を “その子仕様”に変えることなど無理な話である。
できもしないし、そのための努力をする気もない解決法を示して、それでおしまいにするのは、単に人々の不満を煽っているのと同じである。
昔は人々が協力して支え合い、「自分は孤独ではない」と感じながら頑張ることができました。親や先生も子どもの心の支えとなっていた。
しかし現代は、
「みんなで一緒に頑張ろう」という熱血指導は逆効果
の時代だという。本当だろうか?
なぜ「自分が孤独ではない」というメッセージが有害なのか、私には理解できない。