キース・アウト

マスメディアはこう語った

オンライン学習が児童生徒の学力差を広げるなんて百も承知で、何が何でもやれと言い続けている人たちがいる。

日本のメディアから「オンライン学習先進国」ともてはやされた韓国からの報告。

オンラインでも成績上位者は「自己主導学習」で成績を維持できるが、
中位の者は大きく落とす。
塾に行っている者、家庭に教育力があって支援を受けられる者に影響が少ないが、
多文化家庭や祖父母と孫だけの家庭の子、障害のある子は苦しい等々。
――これが一部の人たちが熱望した「オンライン学習」の実態だ。

しかしその人たちは知らなかったわけではない。知っていて切望した。
彼らがオンライン学習をさせたかったのは成績上位者だけなのだから。 

f:id:kite-cafe:20200710194826j:plain(「タブレット学習する小学生フォトACより)

 

記事


[ニュース分析]
遠隔授業で中位圏の成績下落…ますます広がる教育格差
(2020.07.08 ハンギョレ

japan.hani.co.kr

新型コロナによる遠隔授業の長期化への懸念 
 今年4月、史上初の「オンライン授業開始」で、大韓民国の教育は「遠隔授業」という一度も行ったことのない新しい道に進んだ。政府の「生活の中の距離措置」転換に合わせ、5月20日から登校授業が順次再開されたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の地域社会の拡散が相次ぎ、学校現場は依然として遠隔授業への依存度が高い。

(中略)

 一部の教師たちは、登校開始後に行なった中間テストで、上位圏の生徒はそのままである一方、中位圏に属していた生徒の成績が下位圏へと下がる現象に注目している。全羅北道地域の一般高校の教師のAさんは、6月の第3週に実施した中間テストの結果について、「内申書1~2等級の上位クラスの生徒たちの成績は例年とあまり差がなかったが、3等級以下から英語・数学を中心に点数が下がった」と述べた。通常90点台から80点台、70点台、60点台が均等に出るものだが、特に数学科目で70~80点台に集中していた中位圏が60点台以下へと下がったケースが多かったという。Aさんは「生徒たちも成績が下がったことに驚いたのか、科目別に個別指導の申請を受けつけてみたところ、中位圏の生徒たちの申請があまりに多くて手に負えないほどだ」と伝えた。

(中略)

 高校のように成績順位を出さない小学校や中学校まで含めれば、子どもの遠隔授業を支援しにくい低所得層や一人親家庭、祖父母と孫だけの家庭などの社会的弱者層では「学習欠損」問題が深刻だという懸念が出ている。『新型コロナ、韓国教育の眠りを覚ます』の共著者であるファン・ソンヒさん(江原大学教育学科講師)は、「学校以外に勉強を頼るところがない社会的弱者層の生徒たちには、教室で先生や友人との相互作用が学習を続けるのに一定程度の役割を果たすが、対面授業が少なくなればそれだけ学習欠損問題が生じる」と懸念を示した。京畿道のダオン小学校教師のイ・チュンイルさんも7日、国会で開かれた討論会(新型コロナ後、韓国の教育に何を込めるか)で、「遠隔授業が行われる空間である家庭環境の違いが、教育的差別を誘発する主な原因となる。多文化家庭や祖父母と孫だけの家庭、障害のある生徒が最も脆弱な立場にいる」と話した。

 その反面、親が遠隔授業を積極的に支援したり、私教育の活用度を上げるような場合には、対面授業が減っても打撃を受けない。自己主導学習が可能な上位圏の生徒も同様だ。ファン・ソンヒさんは「豊富な資本力に頼って学校教育の空白を私教育に代替できる中上流層の親や、一日中子どものそばで全面的な子どもの管理が可能な専業の親は、遠隔授業を一種の“好材料”とまで認識している」と指摘した。

(後略)

 

 とりあえず、かつて韓国のことを「オンライン学習先進国」「すでに早くからオンライン学習を進めている」とメディアで語って「遅れた日本」を貶めた識者・専門家・コメンテータ・記者・学者たち、公の席で謝ってもらいたい。
 今年4月、史上初の「オンライン授業開始」で、大韓民国の教育は「遠隔授業」という一度も行ったことのない新しい道に進んだ。
だってヨ。なにがオンライン学習先進国だ!

 それはそうだろう。コロナ以前に韓国のような人口の都市集中が激しい国で、何を好んで学校を閉じてオンライン学習をしなくてはならなかったのか、ちょっと考えればわかりそうなものだ。
 カナダやオーストラリアの大平原で隣の家まで数十kmというような場所では学校にも通えない、だからオンライン学習が進んでいたというならわかる。しかし人口の稠密な都市で学校を開かずにオンライン学習を行う必要はまったくない。それはニューヨークでも、パリでも、ロンドンでもみな同じだ。
 今回のコロナ禍でようやくオンライン学習を始めた国や都市も、そこもみんな手探りでやっているだけなのだ。

 また、今まで経験のないオンライン学習のようなことを不用意に始めれば、学力に差がつくことは目に見えていた。
 考えてみるがいい。
 すべての子どもに同じ学力を持たせる方法は、実はひとつしかないのだ。全員に学ばせないこと、学ばなければ知識ゼロで学力差もゼロである。

 たとえばどこかの小学校にいきなり飛び込んでマサイ語とかイボ語といったアフリカの部族言語のテストをやれば、おそらく全員が0点で学力差ゼロということになるだろう。ところが1日でも学習を始めたとたんに学力差はつきはじめて、あとは広がる一方だ。
 私たちはそのことを自身の経験としてよく知っている。小学校6年生まではクラスに誰も英語のできる子どもなんかいなかったのに、わずか6年後には英語の堪能なヤツと私のような人間の間に、天と地ほどの差がついてしまったのだ。

 学力差をゼロにはできないものの、多少なりとも縮める方法がないわけでもない。
 一番簡単なのは「頭の良い子に勉強させないこと」だがこれは無理だろう。困ったことに優秀な子は放っておいても伸びてしまう。
 あとは勉強のできない子たちを押し上げて、差をゼロにはできないまでも少しでも学力を伸ばそうとすることだ。そして学校にはそのための仕組みが山ほどある。

 記事に即していえば、
 教室で先生や友人との相互作用が学習を続けるのに一定程度の役割を果たす
といったもんがそのひとつである。

 オンライン学習はその相互作用を十分に可能としない。どうやっても基本は教師と生徒の1対1だ。
 会話の中に他の生徒が割って入ることが難しい。先生が黒板に字を書いている最中にひそひそ話で「ねえ、今、先生なんていったの? よく聞こえなかった」などということもできない。他人のノートを勝手に覗いて「オイ、そこのところ違っているぞ」などとお節介なアドバイスをする子もいない。

 私が言いたいことは次の2点である。

 第一にオンライン学習の効果は一般に考えられているよりもずっと低いということ。もちろん授業がまったくないよりはマシということもあるが、オンラインの手配にエネルギーを使うくらいなら教室再開のために時間を使った方がよほどいいということだ。分散登校でも五月雨登校でも構わない、とにかく子どもを一か所に集めて刺激を与え続ける方法を、みんなで模索していくしかないのだ。

 第二に、オンライン学習の限界、学力差がつきやすいということを百も承知で導入を声高に叫んでいる専門家・識者・コメンテータ―・記者・学者・政治家が、いくらでもいるから気をつけろということである。

 彼らは国民教育には興味がない。
 多くの教師は教育を子どもの自己実現の道具だと考えているが、彼らにとってそれは政府や産業界に役立つ人材を育てる最も安上がりな道具なのだ。

 みんなが学力をつける必要はない、政治や経済を動かすのは一握りのエリートだけだ。だからエリートだけがしっかりと学力をつけてくれればいい、それでこの国は豊かになる、自分たちも潤う――そう考えている人たちは、たとえ数カ月でも、自分の愛するエリートの卵たちが学習から引き離されることに我慢がならない。
 オンライン学習で学力に差がつくなんてどうでもいいことだ、とにかくエリートの学習を奪うな!
 彼らは心の中でそう叫んでいるにちがいない。そんな連中に乗せられることもないだろう。