教員採用試験の競争率が下がり続けているというのに、文科省も自治体も本質的な解決の道を探ろうともしない。これって、かなりヤバくないか?

 教員採用試験の競争率が落ち続けている。
 倍率で2を切れば深刻な教員の質の低下が始まると言われているのに、
 すでにそうなった自治体が2019年で12もあったという。
 文科省は教員免許を取り易くすることで、
 各自治体は受験のハードルを下げることで、
 少しでも受験生を増やそうと努力している。
 しかしそれって、まったく本質的な話ではないではないか?
という話

f:id:kite-cafe:20210205200207j:plain(写真:フォトAC)

 

記事


社説:教員の確保 勤務環境の改善を急げ

(2021.02.04 京都新聞) 

www.kyoto-np.co.jp
 全国の自治体が学校の先生のなり手不足に頭を悩ませている。

 2019年度に行われた公立小学校の教員採用試験の競争率が、全国平均で2・7倍と過去最低になった。佐賀、長崎両県など12の自治体では2倍を下回った。

 教員を採用する教育委員会は、年齢制限の撤廃や大都市に試験会場を設けるなど、受験しやすい制度を導入しているが、受験者の奪い合いになっているのが現状という。

 21年度からは小学校の35人学級化への移行が始まり、教員がさらに必要になると見込まれている。情報通信技術(ICT)を活用した授業が本格化するなど、学校に求められる業務も増えている。

 受験者減少に歯止めがかからず優秀な人材が確保できなければ、教育の質にも影響が出かねないと指摘されている。競争率低下の要因を調べ、教員志望者を増やす取り組みにつなげる必要がある。

 採用試験の競争率は近年、低下傾向にある。第2次ベビーブーム世代への対応などで1980年代に大量採用された教員が退職期を迎え、補充のために採用数を増やす動きが続いている。

 ただ、教員の大量退職はピークを越え、2019年度試験での採用数は10年ぶりに減少した。それでも、競争率が過去最低になったのは、教員を目指す人が減っていることを示している。

 競争率の低迷を受けて文部科学省は、大学で小中両方の教員免許を取得する場合に必要な教職課程の単位数を減らすなどの対策を打ち出した。他業種で働く教員免許保有者の特別選考を行っている自治体もある。

 だが、20年3月に国立の教員養成大学・学部を卒業した人の教員就職率は57%にとどまっている。

 その一つの要因は、教育現場の厳しい勤務環境にある。多忙で休みが取りづらい「ブラック職場」とも言われ、学生らが教職を敬遠する動きにつながっているとみられている。

 文科省は公立校教員の残業の上限を原則「月45時間、年360時間」とする指針を策定するなど、働き方改革に向けた取り組みを進めているが、現場の負担軽減に結びついているとは言い難い。学校や教育委員会はどこに要因があるのかを点検し、教員のやりがいを高める職場づくりを進めてほしい。

 中学、高校の教員採用も受験者が前年より3千人以上減るなど、人材確保は厳しさを増している。教職を目指す若者が意欲を持てるような環境へ改善を急ぐべきだ。

【学校には、どちらにしても良い先生が集まる仕組みがあった】

 記事に第2次ベビーブーム世代への対応などで1980年代に大量採用されたとある。
  記憶にないが私が合格できる(83年度採用)くらいだからよほど試験も楽だったのだろう。しかし私の少しあと、90年前後の受験者はさらに楽だった。いわゆるバブル景気の真っ最中で、地味な教員の道を歩こうとするバカ者はほとんどいなかったからだ。
 しかしそれも悪いことではない。この時期に教師になった人たちは、民間のとんでもない給与や賞与に目もくれずに選んだわけだから、その意味で“本当になりたい人だけが教師になった時代”とも言える。事実、教育熱心ないい先生が多かった。

 そこからさらに10年たつと今度は就職超氷河期だ。場所によっては27~28倍といったとんでもない倍率を勝ち抜いてきた教師たちは、信じられないほど優秀だった。「優秀な先生には心がない」とか「ダメな子どもの気持ちが分からない」とか言われるが、彼らは「教師としての心」や「ダメな子どもの気持ち」まで勉強して自分のものにしてしまうから凄かった。
 私の弟は普通の公務員だったが、就職超氷河期の後輩について「アイツらに出世競争で負けても悔しくない」と言っていたほどである。

 こうしてふたつの時代を記述してみると自ずと分かってくることがある。
 公務員、特に教員の世界には「景気の悪い時には優秀な教師が集まり、良い時には熱意のある教師が集まる」という法則があって、どちらも必要な人材だから、両方が交互に集まってくるという意味では安心してみていられる世界なのだ。

 しかし今回は違う。
 教員採用試験の競争率が下がっているのは教員の大量採用や好景気のせいばかりではなく、教職そのものに対する嫌悪感が背後にあるからだ。今後、不景気になって民間の雇用が冷え切っても、教員になろうという人材は以前のように増えてこない。民間で合格の見通しの持てない者だけが受験に来る――もはや教職はまともな人間のやる仕事ではなくなっているのかもしれないのだ。

【学校のブラック化はさらに進むという予言】

 かくも教職は誰もが忌避する劣悪な職種になってしまった。

 もちろん教師は今でも高邁でやりがいのある仕事である。しかしその「高邁さ」や「やりがい」に乗じて、政府や自治体が、マスメディアや保護者が、そしてその他の人々が、仕事を増やし、無理難題を押し付けてきて学校をとんでもないブラック社会にしてしまった――そのことに、みんな気づくようになってきている。

 上の記事でも、
情報通信技術(ICT)を活用した授業が本格化するなど、学校に求められる業務も増えている。
そして
文科省は公立校教員の残業の上限を原則「月45時間、年360時間」とする指針を策定する
 つまり、
仕事は今後も増やす、しかし残業はさせない、(仕事はすべて持ち帰れ)
と、明け透けな言い方で、今後も学校のブラック化が進展することを示唆している。

 もちろんこの予言は当たる。これまでも仕事を増やす一方で、教員も増やすといった負担を緩和する方策はほとんど取られてこなかったからだ。
 考えてみるがいい、
 生活科、総合的な学習の時間、ICT教育、キャリア教育、小学校英語、プログラミング学習・・・。
 わずか20年余りの期間にこれだけの新たな授業が増えたのに、専門の教員は一人も増えなかった。
 教員免許更新制、教員評価・学校評価、学校マネジメント、学校評議員、公開参観日、参観週間、リモート学習、いじめ対策、不登校対策、セクハラ・パワハラ研修、体罰・違法行為撲滅研修
――新たに取り組まなくてはならないことや、自腹で”やらせていただかなければならない”こともたくさん増えた。しかし教員数は昭和33年以来ほとんど変わっていない。
 これで職場がブラックにならないわけがない。

文科省は無策、マスメディアにも妙案はない】

 チャンスは教員採用試験に学生が殺到した就職超氷河期にしかなかった。
 あのときに雇用対策の一環として優秀な学生を大量に採用して、それを常態化しておけば今日の地獄はなかった。教職は今ほど苦しい職業ではなく、多くの若者のあこがれる仕事のままでいられたはずだ。自然と人材が集まってくる。

 いまや教員の職場環境を是正するために先生の数を増やすということ自体ができなくなった。受験者の減っている時代に、教員の数を増やせばさらに競争率は下がる。さりとて採用数を絞れば教職はさらに苛酷になる。

 それを何とかしなければならない文科省は惚けた発言をし、マスメディアも無批判に受け入れる。
 競争率の低迷を受けて文部科学省は、大学で小中両方の教員免許を取得する場合に必要な教職課程の単位数を減らすなどの対策を打ち出した。
 学生が教員採用試験を受けなくなったのは、免許が取りにくいからではないだろう。この職業に恐怖を感じているからだ。

 他業種で働く教員免許保有者の特別選考を行っている自治体もある
 そんなことはずっと昔からやっていた。今や現職の教員をヘッドハンティングしなくてはならない時代になっている。

【対策はほとんどない】

「あのときあれほど言ったのに手を打たないからこのザマだ。いい気味だ、もっと苦しめ!」
 そんな言い方をするほど私も人が悪くない。それに実際に苦しんでいるのは教師であり児童・生徒なのだから放置することもできない。そこで考えたのだが――。

 労働の苛酷さを解消するには方法は三つしかない。
 労働者の数を増やすか、仕事を減らすか、仕事の質を落とすのか――。

 教員の数をこれ以上増やすことはできないし、しない。仕事の質(教育の質)を意図的に落とすことも難しいし実際にしないだろう。そうなるとできることは量を減らすことだけだ。

 生活科、総合的な学習の時間、ICT教育、キャリア教育、小学校英語、プログラミング学習――新たに加わったこうした科目の一部でも諦めるか、逆に旧来のものからいくつかをなくしていく、これならできるかもしれない。

 いっそのこと「21世紀のグローバル社会を生き抜く子どもの育成」のために、新しい教科はすべての残し、国語・算数(数学)・理科・社会あたりをなくしてしまったらどうか。それなら負担もグンとへって、教員になってみようと思う学生も増えてくるかもしれない。
 もともと「グローバル社会を生き残る子ども」なんてエリートに決まっているから、国語・算数なんて教える必要もないのだ。