キース・アウト

マスメディアはこう語った

あれこれ細かな点にまで気が回って、何事も早目に、完璧に用意しておかないと落ち着かない――そんな人が教頭(副校長)だと学校は安泰だが、校長になってもそのままだと、もしかしたら心が壊れてしまうかもしれない。

(写真:フォトAC)

 

記事

 

恥かかせるんじゃねえ…校長異様、教頭を精神疾患にさせる 賠償命令が下され懲戒処分に 「どれだけ仕事が遅いんだ」と叱責し、耳鳴りや目まいで教頭は退職 校長は現在、別学校で校長として勤務
(2025.01.28 埼玉新聞

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 さいたま市教育委員会は27日、市立大宮東中学校の教頭だった男性(52)にパワーハラスメントを行い適応障害などを発症させたとして、当時の校長の男性(60)について、地方公務員法に基づき、減給10分の1、6カ月の懲戒処分にしたと発表した。校長は損害賠償訴訟で昨年10月、さいたま地裁からパワハラの認定を受けていた。

 市教委教職員人事課によると、市に約480万円の損害賠償金の支払いを命じた地裁判決の内容などを加味して処分を決定。市は昨年12月、市議会12月定例会で補正予算案が可決後、同23日に遅延損害金を含めた約502万円を元教頭に支払った。求償を受けた校長は同日、半額の約251万円を市に払ったという。
(以下、略)

 よくある話とは言わないが、ありそうな話ではある。私自身は会ったことはないが、二~三、似たような噂は聞いたことがある。要するに気が小さいのだ。

【校長にできること】

 現職教員のSNSを見ていたりすると、校長批判の流れで「オレが校長になったら~」と書き連ねる人も多い。オレが校長になったら、
「一日の授業時間を5時間にする」
「部活は廃止する」
「行事は半減」
「公開研究授業はしない」
「超勤4項目以外に時間外にしなければならない仕事はカット」
「PTAも任意とする」
等々。
 しかしこれは校長職の買い被りというものだ。どれひとつ達成できない。

 

 もちろん制度的に不可能というわけでもない。例えば「授業時数1日5時間」だが、5時間授業で200日回すと1000時間。学習指導要領に定められた小学校高学年および中学生の時数は1015時間だから203日の登校で達成できる計算である。これは現在の学校の登校日数にほぼ同じである。

 だから可能であるかのようにみえるが、それは健康診断も身体測定も、交通安全教室も年5回の避難訓練も、始業式・終業式・入学式・卒業式、運動会、音楽会、修学旅行等々の学校行事とその練習も、児童生徒会も小学校のクラブ活動も、それらすべてをやめて初めて可能なことなのだ。
 なぜなら学習指導要領に定められた「特別活動」の時数35時間は、別表第一の備考欄に、
二 特別活動の授業時数は,小学校学習指導要領で定める学級活動(学校給
食に係るものを除く。)に充てるものとする
とあるからだ。では児童生徒会や学校行事の時数はどうなっているのかというと、
「第2 教育課程の編成」に、
特別活動の授業のうち,児童会活動,クラブ活動及び学校行事については,それらの内容に応じ,年間,学期ごと,月ごとなどに適切な授業時数を充てるものとする。
 もちろんこれを根拠に児童生徒会や学校行事をざっくりと減らすことも(制度上は)不可能ではない。
 児童生徒会の計画はすべて顧問が作成し、子どもたちは当番活動ののみ。小学校のクラブ活動は年1回、2時間程度で終了。時間のかかりすぎる健康診断や身体測定も年1回(それでも3~4時間はかかる)、予防接種は家庭に。交通安全教室をなくし避難訓練も年3回に減らし、入学式は1年生のみ、卒業式は6年生のみ、証書授与は担任から。音楽鑑賞や演劇鑑賞といった文芸行事はビデオで1時間(45分)以内に――と、そこまでやれな授業日数を7日程度増やすだけでなんとかなるかもしれない。
 もちろん長期休業をゼロにすれば、今とほぼ同じ水準の学校行事・児童生徒会・学級会などもできるが、たぶんそれは先生たちの本意ではない。
 あるいは昭和時代の東京都の教員のように、
「指導要領の時数なんて目標値。8割も達成できればいい方でしょう」
などと宣言して、「あれは最低水準」とする文科省と全面対決。裁判でもやっているうちに校長任期は終わってしまうかもしれない。もっとも在任中に部下の教頭や一般職員がどんな巻き込まれ方をするのかは、想像すらできないが。

 

 さらに言えば例に挙げたような行事の精選は、校長が命がけでやってようやく果たせるか果たせないかといったものである。
 交通安全教室を廃止ないしは縮小した年に子どもが事故に遭ったら無条件で退職せざるを得ない。もちろん教委・校長会・保護者、マスコミを通して知った市民や無関係の人々の総白眼視(ホワイトアウト)に耐えるだけの度量があればいいのだが、普通の神経では持たない。
 避難訓練の縮小も、実際に回数を減らす前に、「私の在任中は火事も地震津波も絶対に来ない」と職員や保護者を説得しなくてはならない。それができるのか。不肖、私だったら津波が来ないことだけは自信を持って言える(山国だから)。

【学校の単独改革には校長の命が必要】

 校長会で10年先まで割り当ての決まっている公開研究授業をやらない、他でやってくれと言い切るのは、他のありとあらゆる嫌がらせを引き受けるくらいの覚悟がないとできない。
 部活の廃止も言うは易いが、連日押し寄せるPTA会長、保護者、OB、市会議員、市教委による、懇願、要請、脅し、威圧に耐えるのは容易ではない。中でも泣いて存続を訴える在校生、高い敷居をまたいで中学校まで直訴にきた小学生に、地域移行の道筋も示さずに「絶対に部活は存続させない」と言い切るのはよほど困難だ。
(教頭! やっとけよ、で通るか――?)
 
 それも日本の学校制度を変えるといった大義のためならやってもいいが、できても自分の勤務する1校のみ、それも自分が去ったあとは大部分が元に戻ってしまうかもしれない(たぶん戻るだろう、新校長のもとへは手ぐすねを引いていたPTA会長、保護者、OB、市会議員、市教委らが押し寄せ、元に戻せと迫るに決まっている)と思えば戦いの矛先も鈍る。
 そのときたまたま一緒になっただけの見ず知らずの先生たちのために、なぜそこまで改革をしてやらなくてはならないのか――そんな疑念も湧いてくる。

【挨拶をして責任を取るのが校長の仕事】

 校長は学校のふたつしかない管理職の最高位だ。管理とはつまるところ人事と予算だが、校長には人事権も予算編成権もない。校内人事くらいはできるが、1年かけてようやく慣れた係を簡単に変えたら先生たちが怒る。したがって転出で空いた穴を転入してきた先生で埋めるだけ。誰に何年生を受け持たせるかも決められるが、先生たちに、校長にゴマをすって楽なクラスを担任させてもらうといった発想があるわけでもない。予算の方は――毎年、教委に希望は出すが全体予算が減ることはあっても、要望に従って増えることはない。
 
「校長の仕事はなあ、つまるところ、挨拶をして責任を取ることだ」
 先輩校長がまず教えてくれたことだが、実際にそうだった。挨拶は実に多く、あとは首を洗って待つ身だ。

 学校で起こる様々な事象を取り仕切るのは教頭(副校長)で、児童生徒の問題、職員室内の問題、業者対応、保護者対応・・・それら全部やられなくてはならないが、よほどのことがない限り責任を問われることはない。好きなだけやってそれでもうまくいかず、ニッチもサッチもいかなくなったら、校長に渡せばいい(もちろん怒られることもあるが、命まで寄こせとは言わない)。
 校長は丸投げされた問題を、
「いやあ、教頭(副校長)はそんなことを言っていましたか。まずいですなあ」
などと小芝居を打ってうまく納まることもたまにはあるが、こじれ切って動きの取れなくなった問題が持ち込まれるわけだから、たいていはうまくいかない。次は話が市教委に持ち込まれ、教育部長か教育長あたりが、
「いやあ、校長はそんなことを言っていましたか。まずいですなあ。指導しましょう」
などと小芝居を打って丸く収めることになる。校長といったらその程度のものだ。
 やれることはあまりない。ただ首を洗って待っているだけ。けれどそこに校長の人間性が出ることがある。

【病気なのかもしれない】

 実は教頭(副校長)は少し臆病なくらいの方が向いている役職である。学校を代表してひとりで暗いジャングルを歩いているようなものだから、どこに危険が潜んでいるかわからない。どこに敵がいるか、どこに罠があるのか、どこで獣に襲われるか――。常に先を見越してこちらから罠を仕掛け、用心深く動き、辛抱強く待たなければならない。

 いっぽう校長は仕事を教頭(副校長)や主任たちに任せて、ただ首を洗って待つのが仕事だ。“ひょっこりはん”のようにやたら顔を出して問題を複雑にしてしまう校長もいるが、たいていは喜ばれない。最後の砦がウロウロされては困るのだ。
 ところが教頭上がりで(ほとんど全員が教頭上がりだが)、よほど気質が合っていたのか、いつまでも教頭気分の抜けない校長が稀にいる。あれこれ細かな点にまで気が回って、何事も早目に、完璧にしておかないと落ち着かない人、教頭時代にそうやって荒波を乗り越えてきた人、すべてが整っていてもまだ不安な臆病者――“臆病者”とは言っても失礼だが、ほとんど不安障害と診断されて不思議がないほど怯えて生きている人、そういった人が校長になってひとを巻き込むのである。
 確かに、首を切られるのを待つだけの身は辛い。

 

「恥かかせるんじゃねえ」
「どれだけ仕事が遅いんだ」
 いずれも教師の使う言葉ではない。上司としてそんな言い方をしたら何が起こるか(教頭が委縮してしまう、病気になる、恨まれる、訴えられる等々)わからないはずがない。分かっていてやってしまうのは、やはり病気というしかないだろう。

 校長の日ごろの様子は校長会も教育委員会も把握していない。心配な様子が見られたら誰かが誰かに通報する仕組みをつくっておかないと、同様の事件は今後も増えていくかもしれない。