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「日本の教育がオワコンなのはわかったけど、だとしたらいったいどこの国の教育を手本にすればいいんだ!?」=「そんなの決まっているじゃないか! ネバーランドの教育だよ! ネバー・ラ・ン・ド!!」

(写真:フォトAC)

記事

 

「日本の学校教育」がオワコンと言える2つの理由 1学級40人なのは「従順な人間」を量産するため
(2023.03.18 東洋経済オンライン)

toyokeizai.net


さまざまな課題、指摘、問題点が噴出している日本の教育。「なぜ」「どのように」「何を」を考えず、新しい用語が飛び交い、その第一人者が現れては消えていくという現状に教育現場は疲れ切っている。日本の教育に欠けていることを、日本と海外の教育にくわしい千代田国際中学校校長の日野田直彦氏が、本当に学校で身につけるべきことや、ミライを担う人たちに向けてのメッセージをまとめた『東大よりも世界に近い学校』から一部抜粋、再構成してお届けします。

 

■いまの学校は限界だ
 はじめまして。日野田直彦です。現在は千代田国際中学校の校長をしています。その前は、公募で大阪府箕面高校の校長をしていました。公立学校では当時最年少の校長でした。偏差値50そこそこの「普通」の高校で、さまざまなチャレンジをした結果、生徒も先生も見違えるほど変わり、帰国生でなくても、海外経験がなくても、多くの生徒たちが海外に飛び立っていきました。

 さて、どうして私がこの本を書いたのか。いま教育を受けているみなさん、そして大切なお子さんに「よい教育」を受けさせたいと願っているみなさんに伝えたいことがあるからです。

 それは、ひと言でいえば、いまの学校は限界にきているということです。どうすればよいかわからず、迷走するばかりです。はっきりいって「オワコン」です。「終わったコンテンツ」ということです。とくに、私が中心的に取り組んでいる中等教育、つまり、中学と高校で6年もの時間をかけて行われる教育は極端にいえばムダになってしまっているということです。

 まず、いまの学校がオワコンな理由を説明しましょう。オワコンとは一時は流行したけれど時代に取り残されてしまったもののことです。

 いまの学校は、生徒のためにも、社会のためにも役に立っていません。弊害ですらあります。理由は簡単です。時代に合っていないからです。社会の変化にまったく追いつけていないのです。
(略)

ここまでの話を整理しておきましょう。ひと言でいえば、日本の社会が求める人材とそのための学校は、世界のそれとは大きなちがいがあるということです。

 日本人や日本社会が優れているのは、人々の能力が均質化しているところです。日本では読み書きや計算ができない人はほとんどいません。また、人々のモラルが高いのも誇れることです。しかし、自由はあまりありません。いまの日本の学校では、模擬試験の成績のよい生徒は育てられますが、リサーチやクリティカルシンキングの力を身につけさせる教育はできません。生徒は議論もあまりできないし主体性もありません。そのような学校には多様性(ダイバーシティ)もありません。

(略)

 日本の学校はいまだに、自己主張や主体性がなく従順で均質化した、平均的な能力をもつ人材を育てようとしています。つまり、知識やスキル、偏差値の重視です。しかし、世界はちがいます。世界が求めるのは、主体性があり、自由でクリティカルシンキングができ、多様性があり、それを受け入れられるオープンマインドをもつ人材です。世界の学校は、そのような人材を育てようとしています。マインドセットを重視しているのです。そしてなにより、世界の学校では生徒や学生に、「自分は何者か」に気づかせようとします。

 もう一つ、日本の学校に欠けているのは、生徒や先生の主体性とそれを育むための対話、対話を可能とする生徒と先生の人としての対等な関係、他者に大きな迷惑をかけないという前提の上で、生徒が「学校でなら、何に挑戦しても大丈夫」と思える心理的安全性です。

 

■日本と世界のいいとこ取りが最適解

 求められるのは、知識やスキルとともに、自主性、主体性といったマインドセットも重視し、生徒が安心してさまざまなことに挑戦できる学校です。つまり、日本と世界の「いいとこ取り」をするのが最適解なのです。

 にもかかわらず、日本の学校は、日本の社会でしか生きていけない人材をつくろうとしています。いまだに多くの親たちは「東大に行ったら将来安泰」「あそこに就職したら大丈夫」といった時代錯誤の思考停止状態に陥ったままで、その価値観を子どもたちに押しつけようとしています。受験に何がどのくらい必要であるかも理解せず、子どもに受験勉強を強いる大人が大勢います。有名な大学に入れさえすればあとは大丈夫と思っていてはダメなのです。そんな〝常識?は親からの呪い以外の何ものでもありません。

 それが、私が「学校はオワコンだ」と声を張り上げている理由です。

 「アメリカでは」「欧米では」などとやたらに海外を引き合いにして日本を貶める輩を、最近は「出羽守(ではのかみ)」と呼ぶのだそうで、たいていは引き合いに出された国に在住する日本人から「そんなことはない」と現実を突きつけられて大炎上、最後はアカウントごと削除になるのが通例だという、最近、ネットで読んだ。ネットから拾った話なのでこれも事実かどうかは分からないが、いかにもありそうな話ではある。さて、

【日本の教育はまったくダメだが優れているという謎の修辞】

 今回「東洋経済オンライン」から拾い上げた今回の記事も典型的な「出羽守」だと思うが、引き合いに出された「世界」が具体的にどこの国なのか分からないので検証すらできない。
 できないながらもどうやらその「世界」は主体性があり、自由でクリティカルシンキングができ、多様性があり、それを受け入れられるオープンマインドをもつ人材を求めているらしく「世界」の学校は、そのような人材を育てようとしているらしいということは分かってくる。
 それに対して本の学校はいまだに、自己主張や主体性がなく従順で均質化した、平均的な能力をもつ人材を育てようとしています。つまり、知識やスキル、偏差値の重視です。
日本と海外の教育にくわしい日野田直彦氏はおっしゃるのだが、ところがこの日野田氏、均質化はだめだ、知識やスキル・偏差値の重視はダメだと言いながら、その十数行前では、日本人や日本社会が優れているのは、人々の能力が均質化しているところです。日本では読み書きや計算ができない人はほとんどいません。また、人々のモラルが高いのも誇れることですとも言っているのだからわけが分からない。

【結局、どういう話なのだ】

中学と高校で6年もの時間をかけて行われる教育は極端にいえばムダになってしまっている
いまの学校は、生徒のためにも、社会のためにも役に立っていません。弊害ですらあります。
といった激しい教育批判の矛先は、ヘナヘナとあちこちにぶれまくり、最後に打ち出されるのが、
 求められるのは、知識やスキルとともに、自主性、主体性といったマインドセットも重視し、生徒が安心してさまざまなことに挑戦できる学校です。つまり、日本と世界の「いいとこ取り」をするのが最適解なのです。
という主張。
 え? 知識やスキル、偏差値の重視はダメだって言わなかった? 日本のいまの学校はオワコン生徒のためにも、社会のためにも役に立っていません。弊害ですらありますって言わなかった?

 結局、日本の教育はすばらしいがそれだけでは足りないから、自主性や主体性を重視する「世界」のやり方も取り入れ、さらなる高みを目指せ! 学校がんばれ! 先生、もっと働け! という話なのか?

【世界の良いところだけを集めて国ができるか?】

 だいたい教育に限らず、政治・経済・文化・その他すべての人間の営みは、世界の「いいとこ取り」をするのが最適解なのは当たり前だ。しかしそれらすべては有機的につながっているから、いいところだけを集めて再構成するなどいったことはできるはずがない
 教育に話を戻せば、すべての国民が、基本的な読み書きと計算ができて、スーパーに行っても数十点の買い物の総額を暗算で概算できる上、高い道徳心をもった日本人を育てる日本流の教育に、ディスカッションを中心とする自由な発言を重視するアメリカ流の教育と中国にみられるような統率された授業を展開し、政府などの権威に対しては一応抵抗するところから始めるフランス自由主義や、深刻に思いつめないラテン系の明るく楽しい教育とともに、北欧の単位制教科選択を大いに導入して自由な時間に登下校できるようにし、しかもドイツ流の半日学校で世界に通用する人材を育てる――そんなことができるはずがないだろ!
 ここはネバーランドか?

【日本の教育がまったくダメなことだけは分かった】

 さっぱりわけのわからない記事だが、中学と高校で6年もの時間をかけて行われる日本の教育が極端にいえばまったくムダになっていて、生徒のためにも社会のためにも役に立っていないばかりか、弊害ですらある、というそのことだけは印象に残る。
 先生たちには深く反省してもらわなければならないし、政府・文科省・各自治体も本気で教育の問題に取り組み、立て直してもらわなくてはならない、もっと教育の質を上げろ、学校を叩け!
 しかし教員の成り手もいない現在の学校を叩けばどういうことになるか、東洋経済オンラインの英傑なら分かりそうなものだ。それをなぜこんな不良記事を出すのか――。
 言うまでもなくそれはアクセス数を稼ぐためである。いわゆる“バズる”ためにはこのくらい刺激的な内容でないと生き残れないらしいのだ。

【会社が生き残るためなら日本なんてどうなってもかまわない】

 調べると東洋経済新報社は明治28年(1895年)の旬刊『東洋経済新報』をはじめとする経済誌の草分けで、現在の『週刊東洋経済』は『日経ビジネス』『週刊ダイヤモンド』に次ぐ第3位の発行部数を誇っているという。また『東洋経済オンライン』は日本最大級のビジネスニュースサイトのひとつで。月間ページビューが約2億PV、日本のビジネス誌系のWEBサイトとしてはPV数・ユニークユーザー数ともに1位である(Wikipedia)という。
 そんな老舗大手メディアがこんな飛ばしまがいの記事を流してもいいものだろうか、たとえ「『東大よりも世界に近い学校』から一部抜粋、再構成して」と自らに責任のないことを明示した後にしても、である。
 
「何よりも大事なのは会社の生き残りだ。東洋経済新報社が生き残るためなら日本なってどうなってもかまわない!」
 そんな編集部の声が聞こえてくる気がする。