キース・アウト

マスメディアはこう語った

愛知県では児童生徒が学校のお墨付きで休むことが奨励されるらしいけど、「ディズニーランドに行く場合は休んでいい学校に、嫌な授業があるときも行かなければならないのはなぜか」――この問いに対する答えが見つからないうちは、安易に子どもを休ませない方がいいよ。

(写真:フォトAC)

記事


「年3日」平日に学校休んでOK、愛知県が新年度から制度…家族での「ラーケーション」推進
(2023.03.16 読売新聞オンライン

www.yomiuri.co.jp

 愛知県は16日、公立学校の児童生徒が保護者の休みに合わせて、年3日まで平日に学校を休める「ラーケーションの日」を2023年度から導入すると発表した。週末や長期休暇以外にも家族で校外での学習活動などに出かけやすくなり、休日や観光需要の分散につなげる狙い。同県によると、全国初の取り組みという。

 ラーケーションは、ラーニング(学習)とバケーション(休暇)を組み合わせた造語。公立の小中高校と特別支援学校が対象で、家族と相談して事前に学校へ申請すれば、欠席扱いにしない。受けられなかった授業は、自習で補う。23年度の2学期以降、各校で順次導入する。

 休み方の改革に取り組む同県のプロジェクトの一環。土、日曜に働く保護者らが子供と触れ合う機会を確保し、有給休暇の取得も促す。大村秀章知事は「コロナ禍で働き方は変わった。コロナの出口が見えた今、休み方改革を進めたい」としている。

 マスメディアの扱いも好評だし、ネットニュースのコメント欄でもおおむね歓迎の声をもって迎えられている。しかし私にはよく分からないのだ。これまでだって学校を休んではいけないというルールがあったわけではないし罰則規定があったわけでもない。ネットニュースのコメント欄には“都会の私立中学・高校受験では2~3日の欠席も合否に関わるから学校は休めないのだ”という話が出ているが、それは受験制度の在り方が間違っているのであって、そちらの方を修正すべきと思う。
 それなのになぜ学校を休むのに公的なお墨付きを与えなくてはならないのだろう?

【学校を休むよう奨励することに何の意味があるのか】

 取り上げた読売新聞の記事から拾えば、

  1. 家族で校外での学習活動などに出かけやすくなり
  2. 休日や観光需要の分散
  3.  土、日曜に働く保護者らが子供と触れ合う機会を確保
  4. 有給休暇の取得も促す

ということだ。しかし家族で校外での学習活動など本気で取り組む家庭はそう多くはないし、仮にあったとしてもそこまで教育熱心な保護者なら学校を休ませたりはしない。あるいは万が一、皆既日食観測ツアーに当選したといった特別な事情のあったにしても、そんな家庭では休んだ分の学習は完璧に仕上げてくるから問題はない。

 困るのは家族で校外での学習活動の内容がディズニーランド体験やサッカー観戦、あるいは沖縄における水泳訓練や北海道スキー研修だったりする場合である。
 家族校外学習から戻ってきた子どもが、
「やっぱ月火のディズニーランドはすげーや、アトラクション全部乗れたぞ」
と自慢するのを、落ち着いた気持ちで聞くことのできる教員は少ないだろう。
 世の中には週日に休みを取って遊びに行くことが難しい保護者もいるのだ。信念として義務教育は休ませないと頑張っている保護者もいる。そもそも浦安に一泊二日で行って高額の入場料を払うことのできない家の子に、“週日なら安い”と吹き込むことになんの意味があるのか。

【受けられなかった授業は自習で補うが、できなくても先生が何とかしてくれる】

 さらに言えば「ラーケーションの日」は、教師にとってどういう意味を持つようになるのか。
 「受けられなかった授業は、自習で補う」と愛知県は言うが、実際問題として学習についてこられないようなら教師が面倒を見るしかないだろう。少なくともその子が休んだ分の学習をどこまで自習で補ってきているのか、確認する必要がでる。それだけでも負担だ。病気で休んだ子にもする仕事だが、病気の子と遊びに行ってきた子を同じように扱うのは心理的に難しい。
 さらに技術家庭科や美術の作品づくりなど、家に持ち帰ればかえって面倒になるものも少なくないし、数学の方程式の仕組みに関する部分が欠課になった場合、分からないことが出てきても「自習」のままでいいのだろうか。
 実は愛知県はそうしたことを承知で「受けられなかった授業は、自習で補う」と言っているのだ。先生が児童生徒を見捨てることなどないとよく知っているのである。学習の遅れには必ず手を差し伸べてくれる、大丈夫だ、ということだ。

【学校をいじることで、大人の事情を解消しようとするな】

 いま、教員の過剰労働が問題となり、教員不足が深刻な現状があるというのに、愛知県はなぜ教員の働き方改革に逆行するようなことを言い出したのか――。
 答えは簡単だ。要するに「休日や観光需要の分散」「有給休暇の取得」、つまり金儲けと地元の企業イメージのためである。

 ポストコロナでインバウンド需要の回復が見込まれる以上、放っておいても休日の観光需要は満杯になる。だとしたら残るのは週日である。日本人にはできれば週日に回ってもらいたい。
 しかし我が国の場合、放っておいたら人々は仕事を休んでまでも観光に出かけたりはしない。特に子どものいる家では学校を休ませての観光などありえない、だとしたら学校を休みややくすればいいだけのことだ――これが「ラーケーションの日」の基本理念である。
 私はそう考えただけでも虫唾が走るほどの激しい嫌悪を感じる。何がラーニング(学習)とバケーション(休暇)を組み合わせだ。どこにラーニングの要素があるのだ。単に誰かが金儲けをしたいだけじゃないか。

【悪行・弱い者いじめの歴史】

 政財界が社会を動かそうというとき、まず考えるのが、「できることから始めよう」。しかしこの言葉はしばしば「弱いところから叩こう」の意味で現実化される。学校がまず標的にされる。
 近いところから遡れば、
「国民からマスクを外させるための、卒業式の脱マスク」
「国民の危機意識を煽るための2020年3月全国一斉休校」
「国民の健康を守るための敷地内全面禁煙」
「対米公約の週休二日制を促進するための学校五日制」
「何を燃やしても発生する(という)猛毒ダイオキシン対策のための焼却炉撤去」
「余剰米消費のための米飯給食」
等々々・・・。
 もちろん中には良いものも必要なものもあるが、抵抗しないから学校からというのはクレーマーと同じ発想だ。

 脱マスクなんてまず国会が範を示せばいいのだ。議員たちが公の場で外したとなれば国民全体も安心して外そうとするに違いない。もちろんヤジを言いたい人は予め申請してマスクをつけたまま議場に入ってもいい。その方がいろいろな意味で分かりやすい。
 週日の観光業の活性化を望むなら、初めに政財界が休みを自由に取る仕組みを考えるべきだ。公務員が週日に自由に休みを取り、観光・販売業者が土日祭日に自由に休める環境づくり、学校はそれが終わってからでいい。

【保護者の皆さまに、ご忠告申し上げる】

 「学校はムリをしても、頑張って行くべきところだ」と私は思う。少なくとも子どもにそう教えておくことが、親にとっては安全な道だ。
 学校で学ぶべきことは大量で子ども同士の人間関係は激しく流動的である。よほど注意しないと三日行かないことで学習は遅れ始め、一週間行かないことで人間関係は変化してしまう。不登校の一部の子の「学校に行かない理由」はまさに「学校に行っていないから行かない」であり、「今さらどの面を下げて行けるのか」という問題である。
 
 もちろん学校教育に重きを置かず、自らの信念で子育てをしていこうという立場はある。そういう人たちまで巻き込む積もりもないが、普通の、あまりものごとを深刻に考えないタイプの保護者たちには言っておく。
「ディズニーランドに行く場合は休んでいい学校に、嫌な授業があるときも行かなければならないのはなぜか」
 この問いに対する有効な――子どもが納得し、進んで登校しようという気になる答えが見つからないうちは、安易に子どもを休ませない方がいい。
 学校は行かなければならないところ、職場も基本的にはいかなくてはならないところ、そういった固定概念から始めた方が、子も親も結局は楽なはずだ。もちろん例外はあるが、「学校も職場も、行きたくなければいかなくてもいい、他にやりたいことがあればそちらを優先してもいい」といった教育観・職業観から始めるのは、素人には荷が重い。
 小中学生には「赤信号は渡ってはいけない」と頑固に教えるべきで、最初から「止まるのが原則だが、状況によっては融通を効かせてもいい」と教えてはならないのと同じである。