キース・アウト

マスメディアはこう語った

不登校のきっかけが「先生」だと言われれば教員も傷つくが、原因は「本人の無気力・不安」だと言われれば親も黙っていない。実は両者矛盾しない。だから「原因追及よりもこれからの子どものことを考えて行こう」という30年前の合意を、改めて見直そう。

(写真:フォトAC)

記事

 

不登校のきっかけ、最多は「先生」 文科省調査と違う結果に 滋賀
(2023.11.15 毎日新聞

mainichi.jp

 不登校の当事者と家族の実態と思いをまとめたアンケートの調査報告書を、滋賀県フリースクール等連絡協議会(柴田雅美会長)が公開している。それによると、回答のあった小中高生のうち、不登校のきっかけを「先生」(合わない、怖い、体罰、不信感など)と回答した子供が約3割にのぼり、最も多かった。また自由記述では、子供も保護者も、周囲の偏見や無理解について悲鳴を上げている実態も明らかになった。【北出昭】

 

要因は学校関係 国の調査と隔たり
 滋賀県東近江市の小椋正清市長が「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」「不登校の責任の大半は親にある」などと発言する前の調査だが、同協議会は「不登校フリースクールの問題を誤った知識や経験則だけで議論せず、不登校の原因は多岐にわたると知るきっかけにしてほしい」と呼び掛けている。

 同協議会は、文部科学省が学校を通じて毎年実施している「問題行動・不登校調査」は必ずしも実態を反映していないとして、県内で初めて昨年11月~今年1月、不登校の子供とその家族にアンケートを実施した。

 回答した小中高生75人のうち、「不登校になった年齢」は小学1~3年生が60%を占め、小学生全体で76%に達する。「不登校のきっかけ」(複数回答)で最も多い要因は、「先生」(合わない、怖い、体罰、不信感など)の23人。「友達」「身体不調」「カリキュラムが合わない」が同数の20人、「先生が誰かを怒るのを見るのがしんどい」(18人)、「勉強が分からない」(16人)など学校関係が多い

 一方、文科省の「問題行動・不登校調査」では、不登校の要因は「無気力、不安」(51%)▽「生活リズムの乱れ、あそび、非行」(11%)▽「友人関係の問題」(9%)など「本人」とする回答が際立っている。協議会は「結果が大きく違う。両方の結果を踏まえて解析が必要だ」と指摘する。
(以下略)

 そもそも不登校の児童生徒の学校に来られなくなった理由が、学校の先生個人の資質(「合わない」「怖い」「体罰」「不信感」)にあるとしたら、不登校問題はさほど難しくない。転校や進級・進学によって「先生」を代えればいいだけのことだ。緊急なら「とりあえず明日から隣のクラスに登校しなさい」で済む。しかし実際にそうならないのは、半世紀近い不登校の歴史から明らかである。

 不登校のきっかけが「先生」だとしても、それは個人としての教師ではなく、その子に「学校教育」を強制する、その子にとっては学校の窓口である「先生」なのだ。だから先生がいくら代わっても、相変わらず「先生」は怖い・合わない・不信感がある、ということになる。

 その意味では文科省の「無気力・不安」のうちの少なくとも「不安」とはまったく矛盾しない。私が経験してきた大勢の不登校児童生徒を思い出しても、
「あの子たちは不安なのだ」
と説明されればよく理解できるが、
「教師が合わないから、カリキュラムが自分向きでないから、行かないのだ」
と説明されるような、そんないかつく、強い子どもは、ほとんど見たことがなかった。

【そもそも合うはずのないものを並べてどうする】

 私には毎日新聞滋賀県版)の記者がどういう意図でこれを記事にしたのか理解できない。
 穏当とは言い難い滋賀県東近江市長の発言の周辺を当たっていたら、こんなアンケートがあった、だから扱ってみよう、そういった軽いノリで記事にしたのか――。しかしそれにしても扱いは雑で、これを転載したYahooニュースの腹も見えてこない。

 そもそも滋賀県フリースクール等連絡協議会のアンケートが訊いているのは不登校の「きっかけ」であって原因ではない。しかもアンケートの対象者は不登校児童生徒本人と家族なのだ。
 それに対して文科省の「問題行動・不登校調査」で問われているのは不登校のまさに「原因」であり、それも学校や教育委員会がどう見てどう判断したかという調査のまとめでしかない。

 選択肢も前者が、「先生」「友達」「身体不調」「カリキュラムが合わない」「先生が誰かを怒るのを見るのがしんどい」「勉強が分からない」といった子どもたちの生の声に近いものであるのに対し、後者は「無気力、不安」「生活リズムの乱れ、あそび、非行」「友人関係の問題」といった外部からの判断である。
 これでは合わないのが当たり前だろう。
 
 しかし取材し始めてしまった以上、何とか記事にしたくて、
「前者で子どもたちが『きっかけは学校だ』と言っているのに、後者で学校は「原因の多くは本人にある」と言っている、合わないじゃないか、だから両方の結果を踏まえて解析が必要だ」と、協議会担当者の声を借りて、再分析を提案しているのかもしれない。それが毎日新聞滋賀県版)の落としどころなのだろう。

【大事なところはそこか?】

 さて、
「いまさら不登校の原因やきっかけを探って責任者を炙り出し、追及したところで何の益にもならない。それより不登校児童生徒の将来について考えて道筋をつけるようにしよう」
――そういった合意ができてすでに30年にもなると思うが、いまだに原因追及に余念のない人が多い。
 私自身は原因なんて、40年近く前から不登校(そのころは登校拒否と言った)の対応に先進的な仕事をしていたフリースクール主催者:富田冨士哉の言った、
不登校の子が学校に行けないのは、学校が集団生活を強要するからだ」
でいいと思っている。
 ネット上には、
「人間関係で悩む子は自由時間が苦手。だから学校は授業と食事だけで下校するようにする。休み時間は5分休憩だけにして、中休みも昼休みもなくす。そうすればもしかしたら不登校が減るのではないかと思っている。遊びたければ放課後に。部活は自由参加に」
といった極端な意見も出ているが、不登校をなくすということだけを優先するなら、それもあり得ると私は思っている。

 ただしその場合は、
・教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。教育基本法第一条) 
だの、
・義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。(同第5条2項)
だのは変えてく必要もあるはずだ。
 しかしその前に、できることはまだたくさんある。