(写真:フォトAC)
記事
飛び石型連休のGW、学校休んで旅行はNG? 教育現場の受け止めは
(2025.04.21 毎日新聞)
2025年のゴールデンウイーク(GW)は日の並びが悪く、飛び石型の連休だ。「学校を休ませて家族旅行に行こうか……」。そう考える人も多そうだが、一方で後ろめたさも残る。度々起きる「家族旅行と学校欠席」の議論。教育現場はどう受け止めているのだろうか?
◇親の責任放棄?
その是非を巡っては、X(ツイッター)などネット上でさまざまな意見が交わされている。
<土日祝日に休めない親もいるし、何の問題もない>
<有給休暇が推奨される時代。子供に休暇があってもいい>
理解を示す声がある一方で、否定的な意見も。
<遊びで学校を休ませるのはどうか>
<先生や他の子どもに迷惑がかかるのでは>
特に、義務教育課程にある小中学生の場合は<教育を受けさせるという親の義務や責任を果たせていない>といった厳しい声も見られる。
(以下、略)
評
「すべての問題は程度問題だ」という言い方があるが、記事に出て来る愛知東邦大の白井克尚准教授も、「休むことの価値や可能性を広げる」とおっしゃってはいるが、子どもが1年365日、家で遊んでいてもかまわないと思っているわけではないだろう。
平日に旅行などで学校を休んでも欠席扱いしない「ラーケーション」を年間3日から5日間まで「拡充」した別府市も、年間200日まで「拡充」しようとは考えないと思う。では、どのくらいだったら許せるのだろうか。
五日か、一週間か、はたまた二十日ほどか?
【それで済むのかな?】
このとき反対派の頭の隅にあるのは、
「それだけで済むのかな?」
という問題である。五日休んだら六日目に学校へ行くのはそうとうに腰が重いのではないか、夏休み明けの、あの重さを思い出してみるといい、という話だ。私のような世間ずれした年寄りでも、退職直後の数日は何となく腰が落ち着かなかったものの、次の週になったら在宅することにまったく違和感がなくなっていた。まさに白井教授の言う、
休息し何もしないことが「学び」を続けるための切り替えになる子供もいる――。子供によって「学び」の形はさまざまであると考えることで、罪悪感を感じなくなる
かもしれないのだ。
それだけではない。学校には遊び仲間もいれば係活動や部活動の関係もある。そうしたクラスの人間関係はかなり流動的で、10日も休めばあっという間に「その子がいなくても済む人間関係」に組み替えてしまう。つまりその子の居場所がなくなる。
居場所がなくなっても、無理やり自分をねじ込んで人間関係の再構築を果たす子も少なくない。しかし苦手な子はいつまでたっても居場所がないままだ。もしかしたらその子は二度と学校に来ることができない。
勉強も3日連続で休めば、単元によっては取り返しがつかないほど遅れてしまうこともある。東京都目黒区のように予算潤沢で、
欠席によって生じる学習の遅れについては「(中略)教員や友人と情報を共有し、学びが途切れないようにできる限りのフォローをしていく」
と大見栄を切り、専門の教員を用意する勢いの自治体もあるが、普通は対応してくれない。遅れた分は親自身が指導するか、身銭を切ってプロにお願いするしかないだろう。
だから私たちおとなは、次の質問に対する強力な答えを用意しておく必要がある。
「楽しいことのために休んでいい学校に、苦しいときや嫌なときも行かなくちゃならないのはなぜ?」
【学校は休んではならないところ—―にしておけば親は楽だ】
学校を休ませることの是非は別にしても、親として、教師として、
「学校は行くべきところ、休んではいけないところ」
と子どもに思わせておいた方が絶対に楽だ。安易に休まない子は、強く育つ。
そんなことを言うとすぐに、
「いじめられても行かなくてはならないのか」
と言い出す人がいるが、それとこれは別だ。登校を強制する以上は、その子の内面にはいつも敏感でなくてはならない。
ただしもちろん、これは個人の感想であって強制できるものではない。いまや多様性と自己責任の時代だ。親は親の責任で休ませ、後処理は自分できちんとやればいい。
ちなみに、子どもが授業日に保護者と遊びに出かけるのを黙って見送っている教師たちは、自身の子どもを休ませて一緒に遊び行くことなどはしない。言うまでもなく教師が授業日に学校を休んで家族旅行に出かけるのを、黙って見送るほどにはこの国は寛容ではないという事情もある。しかし本筋はそこではない。
学校を休ませていいことは何ひとつない、それはとんでもなく愚かなことだと、教員は知っているからである。学校の外に重要な学習機会があることはもちろんあるが、だったら子どもが休みの日に、親が仕事を休んで行けばいい。もしくは頼める大人を探せばいい。
昔と違って現代の教師は自分の子の面倒もよくみる。それだけ現代が危険な時代だと知っているからだ。そして同じ理由から教師は教室でやっているような甘い育て方を、自分の子にはしない。
その点に限れば、教員の家に生まれた子は親ガチャの当たりを引いたことになる。自分に厳しくしてくれる人は、結局はいい人だ。